龍水の独言ブ増刊号

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【実名写真あり】バスケ部主将が自殺した大阪市立桜宮高校の虐待教師の罪

連日報道されている大阪市立桜宮高校バスケ部の主将が顧問の体育教師から執拗な暴行と虐待を受けて自殺した事件。なんでも自殺する前日に30〜40発殴られた上に「キャプテンを辞めろ」っと言われ続け徹底的に精神を崩壊に追い込んでいたらしいな。まあ有名な体育系高校だったらしくて、一部のOBの保護者はこの殺人教師を擁護するバカもいるんだとか。さらに過去の匿名による通報案件も教育委員会と校長によって隠蔽されてたという。


殺人教師の実名:小村基(こむらはじめ)47才


状況から、おいらが想像するに・・・


小村基はすでに精神異常者になっていた!


のは間違いないと思ったぞ。


体育会系の学校の部活でしかも主将クラスであれば、はっきり言ってそこらにいるヘタレ男と比べたら半端ねーほどの根性の人間である。その子が自殺するまで追い込まれたのである。想像を絶する暴力と虐待を受けていたのは誰でも簡単に想像できるだろう。


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体罰が常態化している体育教師のほとんどが暴力依存症という精神病になっている!
おいらもどちらかと言うと体育会系の人生をおくってきてるからわかるんだけど、暴力振るうやつも初めは、相手の為にといった相手本位の精神で行なっているんだよ。まあ逆に言うと言葉が苦手なタイプで、コミュニケーション能力が低いので熱血暴力指導でしか相手に伝えられない、コントロールできないってことでもある。


しかし、その暴力を通じて欲しい物が手に入った時、その暴力はそいつの中で肯定されはじめる。今回の場合は、バスケ部の過去の実績とかだな。そうなるとなんでも暴力を使えば解決できる・支配できると信じるようになる。逆に言えば、自分が思った通りの結果が得られなければ、さらに暴力的になっていくんだな。つまりこれが、暴力依存症という精神病の始まりである。


今回、小村基を擁護したバカOB保護者は、過去に「学校で受けた体罰のおかげで今の自分がある」と信じているので、暴力容認人間になってしまったんだな。おそらく小村基も同じ。こいつらは、ある意味、暴力の負の連鎖の被害者でもある。


この暴力依存症は、アルコールや麻薬、タバコと同じで、アドレナリンに作用する快楽的行為でもある。だからもし中毒になるとなかなか抜け出せない。DV人間もほぼ同じ状態。仮に一時的に暴力を止めることができたとしても、いつかまた同じことを繰り返すケースがほとんどである。


小村基は、すでに何年にもわたって体罰という名で正当化された異常な頻度の暴行行為を続けてきて、もうそのような方法でしか生徒を指導できない、恐怖によってでしか生徒をコントロールできない、古い考えに支配され頭が凝り固まっている無能教師に成り下がってしまったのだろう。だから自分の無能を隠す為に暴力はさらにエスカレートしてゆく。もう生徒はもちろん周りの大人も誰も止めてくれない、いや、止められない状況へと自らを追い込んでしまった。


そして、行き着いた先が、今回の主将の死である。当然である。小村基は、すでに精神異常者なんだから。これまで事件にならなかったことが異常なのである。


もし小村基が逮捕されて、服役したとしてもおそらくヤツは、反省することはないだろう。なぜならすでに精神異常者なんだから。精神異常者は、精神病院にぶち込んで治療しなければ治らないのである。



過去の通報をウソの報告で隠蔽し続けたクズ校長 佐藤芳弘


おいらは一概に体罰を否定するつもりはない。ただし、体罰には、親の愛に並ぶくらいの広くて深い愛がなければなかなか成り立たない。それと同時に自己犠牲の精神も必要だ。どんなに憎まれても嫌われてもその子供の人生を本当に思って厳しく指導できる精神力である。ある意味で、その子のその後の人生を左右するような領域に踏み込むことにもなるわけで、当然のことながらその子の人生に対して重大な責任を背負うことにもなる。


体罰とは、そのような責任を負える覚悟のある教師にだけ許された神聖な行為である。だから通常は、そのような覚悟がある教師であるほど体罰はめったに行わないし、行う場合は弱者いじめなど罰を受けるような悪事を行った生徒を指導する場合のみである。体罰とは日常茶飯事どこでもいつでも簡単に行えるほど軽い行為ではないのである。


しかし、体育教師のほどんどは、そこまでの覚悟などはなく、ただ自分の過去の成功体験によってのみ暴力を肯定している。はたしてこのような暴力容認の体育教師を教育者と呼ぶことができるだろうか。


よく考えればわかると思うが、スポーツの現場で罰を受けるような悪事を行う生徒はまず居ないはずである。それでも教師と生徒という絶対に逆らえない上下関係の中で常態化した体罰が行われているのならば、それではイジメ以下の卑劣極まりない行為と言わざるえない。


これもすべて戦後教育を推進してきた左翼勢力である日教組教育委員会の弊害だろう。日教組教育委員会、学校、校長、教師が一体となって、学校以外なら重大事件となるような暴力事案もすべて口裏を合わせ、見逃し、隠蔽し続けてきた果ての結果である。


教育勅語の12の徳目

1. 親に孝養をつくしましょう(孝行)
2. 兄弟・姉妹は仲良くしましょう(友愛)
3. 夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)
4. 友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)
5. 自分の言動をつつしみましょう(謙遜)
6. 広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
7. 勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
8. 知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
9. 人格の向上につとめましょう(徳器成就)
10. 広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)
11. 法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
12. 正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)


これは戦前の日本の学校で徹底的に教えられた道徳教育の一つである。戦後の日本の学校では、このような日本人として当たり前の道徳教育を「戦前・戦中の教育はすべて悪」と言いはなち一切取り入れず教えてこなかった。その結果が今の日本である。


今回自殺した子の死を無駄にしないためにもスポーツ指導のあり方はもちろん、先人たちが行なってきた「教育勅語」などの道徳教育を見直し取り入れて、もう一度、日本の教育というものを考えなおす時期にきていると思う。


教育勅語の真実

教育勅語の真実


そんな妄想が頭を駆け抜けた・・・
ま、まさかな・・・


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